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「善意」あるも「知識」がなく起きた国際支援の悲劇、これは起こるべくして起こったのでしょうか?
2008-11-26 10:25:10
by ゲスト
要約すれば、カンボジアで日本を含めた諸外国の NGO が「善意」で井戸を掘る活動をしていたところ、その井戸の水を飲んだ人々にヒ素中毒が続出し、死者まで出ているというものです。
問題なのは、もちろん一部とはいえ、国際支援が知識も経験もないままに行われているという実態です。
クローズアップ現代 放送記録
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2008/0810-5.html
> 10月28日(火)放送 善意の井戸で悲劇が起きた
> 政情の安定化にともなって各国のNGOが次々と入るカンボジア。短時間で安価にできる井戸掘りが人気で、アンコールワット観光に井戸の寄贈を組み合わせたパッケージツアーも登場。しかし、これらの井戸は、水質検査もされないケースがほとんどだ。
このカンボジアでヒ素が検出された井戸のなかには、日本のテレビ局のキャンペーンによって作られたものもあるらしく、真偽ははっきりしませんが、
「日本の寄付」井戸からも毒物 善意なら何をしてもいいのか J-CAST
http://www.j-cast.com/tv/2008/10/29029470.html
> カンボジア政府の調査では、国内1万7000の井戸のおよそ半数から基準を超えるヒ素を検出。谷准教授がある井戸を実際に調べてみると、WHO基準の 280倍という高濃度のヒ素が検出された。なお、政府によって使用中止にされた井戸には、日本のテレビ局が大々的なキャンペーンで集めた寄付で掘った井戸も含まれるそうだ。
とのことです。
ここ数日で、この点がネットの一部で話題になっていました。端的に言うと、キャンペーンを行った番組に責任はないのか、ということです。
NHK の番組でも、井戸掘りがツアー旅行に組みこまれているなどの現状を指摘していましたが、どこか国際協力を美談として消費する風潮が私たちの社会に根づいてしまっているのではないでしょうか。
かつて私が大学で文化人類学の授業を受けていたときに、国際協力についての議論になったことがあります。「善意」の必要性を述べた人に対して、「こちらが善意と思っていても、向こうにとっては善意にならない場合がある」という反論が出たことを印象的に覚えています。
しかし、「善意」がなければ国際支援は始まりません。上記のような悲劇を引き起こした「善意」も、もしかしたら必要悪なのでしょうか?
この「善意」を皆さんはどうように考えますか?
コメント〆切日:2008年12月17日 00時 チャンネル:
選者: goostaff_yossy
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よりぬきコメント
2008-11-26 11:46:38
by ゲスト
コメントID:25949
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23
2008-11-26 21:14:42
by ゲスト
ID:38829
(コメントID:25949に対する返信)
作為ある企画。あの番組でしょうか?
物にはそれに応じた価値というものがあります。素人の自分が書いた絵を誰かが1億円出して買ってくれたとする。もちろん自分の絵にそんな価値はない。価値の無いものでお金を受け取りその絵を描くのに20年かかったと言い張りその間の経費を税務署に計上しようとしても認めてもらえない。価値の無いものに対する架空の取引とみなされます。
税務署に高価な絵と認めさせるには○○展に入賞とかして公な評価が必要になります。つまり 価 値がそこで 創 りだされる訳です。
公の場で入札されることなども認定要件の一つになりえます。テレビでのオークションもこれにあたります。
晴れてその人の絵にはそれだけの価値があると認められた訳ですから、あとは組織の力でいい商売ができる。
実際の価値のある絵の中に、明らかにおかしな絵が極端に高い値段が付いているなと感じたら、そうかコレことかと気づくでしょう。
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53
よりぬきコメント
2008-11-26 21:50:37
by ゲスト
ID:38845
(コメントID:25949に対する返信)
例えTVの企画でも実際に支援が行われるなら現地にとっては喜ばしいことだと思うのですが。
学校、井戸、図書館、簡易医療施設、様々な企画を見ました。確かに演出や取り上げ方に「あざとい」と感じることは多々ありますが、同じ番組予算なら芸のない芸能人集めてワイワイやるより支援活動に使ったほうがお金が生きると思います。
安易で単発的な救援活動は現地の混乱を招いたり自立の妨げになるという主張も理解できますし、「TVの一企画に過ぎないボランティアに長期的な計画が期待できるのか?」「持続性のない支援に意味があるのか?」という視点も判らないではありません。
しかし、TVのネタだから有意義でないような書き方をされると「そうかな?」と疑問に思います。
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2008-11-27 16:58:46
by ゲスト
ID:38902
(コメントID:25949に対する返信)
募金活動と一口に言ってもピンきりで、募金活動と言いながら別の団体の資金源になってたりすることもあるので、安易に募金をするのも考え物だと思います。どう使われるか、確認するのも大切なのでは。
|必要な税制を見直すなど
国や地方公共団体・社会福祉法人などに寄付をした場合には、確定申告の時に寄付金控除が受けられます。
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23
2008-11-26 22:03:55
by kiyo1800
コメントID:25974
そういうところで振り回されてるとしたら本当に被害者になんといって良いか・・・まあ一方で酷いNGOもやはり存在するのだろうなとも思いますが。
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2008-11-26 22:08:07
by katigarasu9441
コメントID:25979
マスコミを利用して、あたかも善意のようにすることが善意でしょうか?
善意の押しつけは善意ではありません。
国際支援という名の善意は・・・・・
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47
2008-11-27 10:30:31
by ゲスト
コメントID:25983
しかし本当に善意から出た行動ならば、起きてしまった「過ち」からも目を逸らさず支援すべきです。確かに「善意」でしたことが相手にとって不幸を呼ぶ結果になったのはショックだと思います。でも大事なことは「感謝されるかどうか」だけではないハズです。過ちに気付いたのなら、何が悪かったのかを考えてこれから正していくしかない。
これをきっかけに、現地に住む人も知識を身につけるきっかけになればいいのではないかと思っています。これは日本人やNGOだけに限らず、現地に住む人達の問題でもあるのですから。
最終的に必要なのは、そこに住む人達が自分達で井戸を掘り、自分達で検査をしていくことではないでしょうか?(他国の誰かにしてもらうのではなく)
今回の件は、誰の責任かを追及するだけで終わらせず、支援する側もされる側も一緒に学んで行って欲しいと感じます。
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23
2008-11-27 10:38:13
by ゲスト
コメントID:25987
1.信頼できる現地側の協力者をみつけること
2.現地の求めているものを理解すること
3.解決方法を話し合うこと
4.長期的な計画になっていること
最初から全部うまくいくわけないし、問題が発生したときにそれをいかに乗り越えるかでその事業の価値が定まってくるものだと思います。
問題が起こったときそこでやめることはひとつの選択肢としてありますが、別の形で最終的な目標を達成することもできるでしょう。
「善意」の中から「欲」をなるべく消すことが必要なのでしょう。
認定特定非営利活動法人 緑の地球ネットワーク
http://homepage3.nifty.com/gentree/
17年続いている活動だそうです。面白い話・参考になる話もあると思います。
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2008-11-27 11:52:42
by ゲスト
コメントID:25989
無関心より質が悪い。いい人を装った殺人者である。
現地の人たちには水が必要なのは理解できる。
しかし必要なのはヒ素に毒された水ではない。
善意であっても実際に中毒者が発生し死者も出ている責任はその設置者にあるだろう。
親切のつもりでお節介をやきその結果人を殺めた場合でもその償いは必要である。
日本であっても外国であってもそれぞれの国の法で裁きを受けるのは当然の事であろう。
関係者は速やかに当事国の裁判をうけ、必要な償いをしたうえで日常生活に戻るべきではないだろうか。
善意のつもりのマスターベーションがその国の人々の生命を脅かしているのだから償わなければいけない。
償いを済ませずに何事もなかったかのように社会に溶け込むことを許すべきではない。
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26
2008-11-30 20:24:25
by ゲスト
コメントID:26111
http://maruyakism.blog43.fc2.com/blog-entry-36.html
順番に読んでいくとわかるのですが、あの番組には確かに奇妙なところがあります。
皮膚がただれたり、死んだりしたカンボジア人は、あのNGOが掘った井戸の水を
飲んだわけではないのです。
紹介したブログはカンボジアのひ素汚染についてくわしく調べていて、
一読の価値ありです。




by ゲスト
水質検査もせずに井戸を掘った???110 よりぬきコメント 2008-11-26 11:45:45
コメントID:25947
意味が分かりません。
善意以前の問題です。最低限の常識はわきまえて欲しい。