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幸せって何だろう

経済学では100年以上、人間の幸福(効用)は財の消費量の増加関数だと仮定してきたが、この命題は一度もシステマティックに実証されたことがない。そもそも一意的な(合理性の公準をみたす)効用関数が実際に存在するというデータさえない。行動経済学の実験は一致して、そのような効用関数は存在しないと証明している。20年にわたる大規模な医学データも、他人の幸福が自分の幸福に大きな影響を及ぼすことを示している。

本書によれば、BBCは「幸福とは何か」というシリーズを2度も放送し、経済学が幸福の基準にしているGDPは、個人の心理的な幸福とまったく一致しないという多くのデータを紹介したそうだ。これは以前の記事でも書いたように正しい。GDPは、他に広く使われて信頼できる指標がないから使われているだけで、特に情報財についてはミスリーディングな指標である。

たとえばNTTの固定電話収入は1996年には5.7兆円だったが、昨年は1兆8000億円になった。その代わりISPが増えたが、この収入は全社あわせて8000億円にすぎない。つまり狭義の通信産業の規模は、GDPベースでは半減したのだが、ユーザーはそれによって不幸になっただろうか? もちろん逆である。この10年で通信トラフィックは数百倍になり、ダイヤルアップとは比較にならない快適な環境が実現した。

だから「コンテンツ産業が*兆円ビジネスになる」という類の政府や御用コンサルタントの常套句は嘘である。狭義の通信産業やメディアが高い収益を上げていたのは、インフラ独占によるレントであり、ITの発達によってそういう超過利潤は減るのだ。次のターゲットは、無線通信である。携帯電話業者の莫大な利潤は電波利権による独占レントだから、ホワイトスペースを免許不要帯に開放すれば、無料で携帯電話サービスを提供する業者も出てきて、超過利潤はゼロに近づくだろう。

資本主義社会の利潤は、競争によって鞘が消滅するまでの過渡的なレントだから、インフラが効率的になり市場が競争的になると、企業の創造する価値はすぐ消費者に移転され、利潤はゼロになる。それはGDPベースではマイナスだが、消費者は幸福になる。だからGDPとは別の指標を考えないと、情報社会の幸福を計測することはできない。

本書は最近の経済学の成果を広く薄くサーベイした啓蒙書で、新しいことは書いてないが、経済学がメカニカルな「合理主義」を卒業しようとしている現状はわかるだろう。
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近隣窮乏化の誘惑

欧州通貨が激しく下がっている。今日は1ユーロ=117円と、図のように4ヶ月で30%以上下がった。ポンドに至っては40%以上も下がった。同じ時期にドルは、15%しか下がっていない。それでも外銀のファンドマネジャーによると「ユーロは利下げでもう一段下がる可能性があるので、おすすめできない」という。

この背景にはEU各国政府の足並みが乱れて機動的な政策をとれないこともあるが、通貨下落を放置しているのは輸出企業を救済する意図もあるようだ。巨額の銀行救済で各国の財政赤字がふくらむことも、下落の原因になっている。どこまで意図されたものかは別として、これは結果的には一種の近隣窮乏化(beggar-thy-neighbor)政策である。そのしわよせは、独歩高になった円にきている。

これは30年前の状況を思わせる。2度の石油危機でインフレと失業が発生したとき、欧米各国は失業対策を優先して「ケインズ政策」をとったが、日本はインフレを重視して金融引き締めを行なった。結果としては、日本が正解だった。財政赤字を拡大した欧米諸国は重症のスタグフレーションに苦しみ、特にイギリスの物価は1970年代に3.8倍になって経済は大きな打撃を受けた。これに対して「減量経営」を行なった日本企業は競争力を強め、資源節約型の自動車が世界を席捲した。

つまりインフレ政策をとって通貨を切り下げた国は没落し、緊縮政策をとった日本が「ひとり勝ち」したのである。この歴史に学ぶなら、ゼロ金利に戻さない日銀の政策は、正解になる可能性が高い。自民党はなし崩しに財政再建を棚上げするようだが、これは近隣窮乏化クラブに加入して自滅する結果になろう。

30年前に日本が成功を収めた最大の原因は、基幹産業を重厚長大からエレクトロニクスへ転換して、危機をチャンスに変えたことだ。素材産業の生産量は1973年をピークにして減少したのに対し、電気機械の生産は1973年から10年で3倍になった。これ以後の日本の成長は大部分をこうした「2.5次産業」の輸出に頼ることになり、その産業構造は今も続いている。だから今こそ日本は、この不況を「リフレ政策」でごまかすのではなく、産業構造の転換に取り組むべきだ。
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日本語はすでに亡びている

本書はちょっと前にブログ界で話題になったようだが、妻が買って「つまらない」といって投げ出した。私もパラパラと読んでみたが、やはりつまらなかった。論旨が整理されておらず、何がいいたいのかよくわからないのだ。タイトルから日本語が文字どおり使われなくなると主張しているのかと思って読むと、どうもそうではないようだ。要するに、このまま放置すると英語が<普遍語>になり、日本語が<現地語>になって、日本文学が亡びるので守らなければいけないということらしいが、これは認識として間違っている。少なくとも学問やビジネスの世界では、日本語はとっくに現地語でしかない。

著者は「日本文学の衰退」をしきりに憂えるが、私はローカルな文化としての日本語は衰えないと思う。問題はむしろ日本語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。国際学会に出ると、日本語の発表はもちろん、日本人の発表もほとんどない。無理やり「アジア代表」で招待された日本人も、うつむいて原稿を読むだけ。技術標準を決める会議でもそんな調子で、日本人は参加者は多いが発言しないので、標準化の得意なヨーロッパ人が勝手に決めてしまうそうだ。

この「日本語の壁」を、著者のいうように教育で是正することは困難だと思う。これは日本がアジアでほとんど唯一、植民地化されなかったおかげだからだ。東南アジアへ行くと、子供でも慣れた英語を話すし、学問は英語でしかできない。それは彼らの自国語が現地語の地位を強制されたからで、必ずしもうらやむべきことではない。地政学的にも文化的にも他から隔離されてきた日本人が、TOEFLで214ケ国中197位、アジアでは北朝鮮(これも在日だから日本人と同じ)と並んで最下位になるのは当然なのだ。

ただ現状が危機的だという認識は、私も同感だ。日本語が現地語になることは避けられないが、普遍語ができれば問題はない。ところがほとんどの日本人は、普遍語としての英語もできない。日本語でほとんどの用が足りるというのも、インターネットや科学の最先端ではもう当てはまらない。日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されているのだが、彼らは取り残されたことさえ気づかない。ところが英語教育を強化しようとすると、「英語より国語のほうが大事だ」などという国粋主義者が出てくる。彼らは国語教育の現状を知っているのだろうか。

日本の国語教育や英語教育をだめにしているのは、著者が守ろうとしている「文学」である。国語の時間に教わるのは小説の解釈ばかりで、自分の意見を発表する訓練はほとんどない。英語の授業では、まともに発音もできない先生が小説を重箱モードで解釈し、1年かかって100ページぐらいの薄い教科書を読む。こんな教育をしていては、大量の英語の文書を読んで表現することは絶対にできない。国語や英語の授業は廃止し、英語はすべて語学学校にアウトソースして、大学入試の語学はTOEFLで代えるべきだ。
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不況は創造的破壊のチャンスだ

ビッグスリーの破産が秒読みになってきたが、メディアの論評で「救済せよ」というのは、私の見たかぎり皆無だ。目立つのは創造的破壊という言葉である。たとえばNewsweekは、デトロイトの垂直統合型産業構造はとっくに寿命が尽きているので延命する価値はないと断定し、諸悪の根源である労働組合をつぶして自動車産業の創造的破壊を行なうには破産しかないと論じている。民主党は救済法案を出そうとしているが、この調子では否決されるおそれが強い。今度は金融危機法案と違って、世界は否決を歓迎するだろう。

マルクスやシュンペーターが論じたように、創造的破壊こそ資本主義の本質的なメカニズムである。うまく行っているときはコーポレート・ガバナンスなんて必要ない。危機に陥ったとき、古い企業を解体して資本市場で所有権を移転し、新しい挑戦者が参入するメカニズムが資本主義なのだ。その意味で、今週のASCII.jpにも書いたが、日本にとっても今が破壊的イノベーションのチャンスである。

こう書くと、「不況のときは創造的破壊もできない」という類の反論があるかもしれないが、これは誤りである。Economist誌も指摘するように、アメリカ経済が最悪といわれた1980年代に、マイクロソフトもアップルもシスコもオラクルも育ったのだ。これは特記する価値がある。というのは、竹森俊平『経済論戦は甦る』以来、日本では「創造的破壊は清算主義だ」という俗論がまかり通っているからだ。

シュンペーターは金融機関の清算を奨励したわけではなく、不況は新たな企業が「新結合」によって既存企業を倒すチャンスだとのべたのだ。これに対して竹森氏が「不況は創造的破壊を減少させる」という証拠として示すのはCaballero-Hammourだが、彼らは「創造的破壊が資本主義のコアだ」という大前提で、リストラが不況期に必ずしも増えないという「弱い証拠」を示しただけだ。Caballeroも最近の本では、ゾンビ企業が日本の長期不況の元凶であることを指摘し、不況期に創造的破壊を支援する金融政策が必要だとしている。そもそも不況期にリストラしなければ、いつするのか。景気のいいとき社員をクビにする社長がいたら、見せてほしいものだ。

IT産業でも、1980年代が大きな分岐点だった。このころ日本企業がわが世の春を謳歌する一方、アメリカは「明日は今日より貧しくなる」という暗いトンネルでもがいていた。ウォール街ではハゲタカが企業を切り売りし、沈没するIBMからは大量のエンジニアが西海岸へ脱出した。しかしこの苦しい80年代に多くの「恐竜」が死に絶え、IBMは社員を半分に減らし、アメリカ企業は資本効率を上げ、人的資源が新企業に移転されたのだ(Holmstrom-Kaplan)。

こうした不況期の創造的破壊が90年代の飛躍に結びついたのであり、「IT革命」などという結果だけまねても本質的なイノベーションは生まれない。日本企業は、80年代に「ナンバーワン」などとおだてられて改革を怠ったまま90年代の創造なき破壊に陥り、いまだにそこから立ち直っていない。世界市場で壊滅状態のITゼネコンもビッグスリーのように退場し、社内で立ち枯れている優秀な人材を市場に解放したほうがいいのではないか。
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予想どおりに不合理な電波政策

17日のシンポジウムのために書いた、私の周波数オークションについてのポジション・ペーパーが、業界で論議を呼んでいるそうだ。圧倒的に多いのは「巨額の免許料をとると料金に転嫁され、損をするのは利用者だ」という批判だという。それが理論的にも経験的にも誤っていることは昔の記事でも書いたので、繰り返さない(論文には書き加えた)。むしろ興味あるのは、人々がこういう不合理な先入観から逃れられないのはなぜか、ということだ。

これは本書のテーマとする行動経済学で、サンクコストの錯覚としてよく知られている。オークションの免許料はサンクコストなので、料金決定の際に考えてはいけないが、実験ではすべての被験者がサンクコストを考えて行動を決める。経済学では合理的期待はforward-lookingなものだと教えるが、実際の企業行動は本書も指摘するように「今もっているもの」にこだわるbackward-lookingなバイアスをもつのだ。

2011年の「ビッグバン」に向けての電波政策が遅々として進まないのも、いろいろな企業の「懇談会」で技術提案をつのり、そこから最適の技術を選ぼうとしているからだ。このようなbackward-lookingな政策は、時代遅れの技術をすべての企業に押し付ける結果になる。必要なのは「周波数の利用効率を最大化する」という目的を決め、そのためには他の無線機器に干渉しないかぎり技術は自由とする、というように原則を決めるforward-lookingな政策だ。

だから政策提言に際しても、業界や官僚が不合理に行動することを織り込むリバタリアン・パターナリズムが必要だろう。こういうバイアスは論理的に説得してもだめで、一番いいのは、経験則では小泉首相のような「変人」のコミットメントと、外圧だ。電波政策についてはACCJが周波数オークションをやれという提言をまもなく出す予定なので、霞ヶ関でひそかに賛成している財務省と経産省がそれを利用すれば、総務省の改革派が動くかもしれない。
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春闘というカルテル

連合が、来年の春闘で8年ぶりにベースアップを要求する。彼らによれば「賃上げこそ最大の景気対策」だそうだ。月曜には、麻生首相が財界に賃上げを要請した。このバックには経産省がいるようだが、「100年に1度」の不況のさなかに賃上げを求めるセンスは救いがたい。彼らの主張は正しいだろうか。まずミクロ経済学では、次のように教わる:

 (A)需要と供給が一致しているとき価格を上げると、需要が減って超過供給が発生する

ここで賃金は労働サービスの価格であり、失業は労働の超過供給だから、それを集計したマクロでも

 (B)賃金を上げると、労働需要が減って失業が発生する

という結論になるはずだ。ところが労組や麻生首相(経産省)は、その逆にこう主張する:

 (B')賃金を上げると、所得が上がって需要が増える

これはケインズのいう「乗数効果」だが、明らかに経済学の一般論(A)と矛盾する。これをどう解決するかが難問で、「新古典派総合」では、新古典派理論(A)は完全雇用の場合で、不完全雇用の場合はケインズ理論(B')が成り立つと教える。しかし不完全雇用(不均衡)状態で新古典派理論が成り立たないのなら、価格によって均衡が成立するという命題も成り立たないので、これは論理的におかしい。もともと需要とか供給とかいうのはマクロの概念なので、要するに同じマクロ経済について矛盾した理論を教えているのだ。

(B')が成り立つのは、どういう場合だろうか。賃金を上げたとき所得が乗数倍ふえるのは、相対価格が変化せず労働需要が減らないときに限られる。この条件は、大企業のように労使交渉で賃金が決まる場合には、企業はベアに応じて労働者を解雇できないので、短期的には成り立つ。しかし賃金コストが増加すると、やがて企業はクビにしやすい非正規労働者を削減するだろう。失業した労働者は所得がなくなるので、消費も減る。

つまり乗数効果(B')は、価格や賃金の硬直性のもとでの数量調整の結果なのである。これに対して(A)のような新古典派の理論は、価格調整の理論である。ケインズは自分の理論を「一般理論」と誇称したが、これは逆で、一般には(A)が成り立つが、価格調整より数量調整の速い短期では(B')が成り立つ。しかし普通は、市場にまかせれば長期の均衡(A)に収斂するはずだから、政府が介入する必要はない。

短期の不均衡に政府が介入する必要があるのは、コーディネーションの失敗によって短期の局所解がナッシュ均衡になっている場合だ。今のアメリカのように価格メカニズムが機能しない場合には、政府が財政出動によってショックを与えて定常成長経路に戻す必要もあるかもしれないが、日本のような通常の不況ではそういう非常手段をとる必要はなく、とっても効果がない。

それに労組の組織率は18%にすぎないので、春闘でベアをやったところで、もともと恵まれているノンワーキング・リッチがさらにリッチになって、格差が広がるだけだ。サマーズも指摘するように、組織労働者を過剰保護すると非正規労働者にしわ寄せされ、自然失業率は上がる。そもそも業界全体で横並びの賃上げをする春闘という賃金カルテルが、まだ残っているのが異常なのだ。まぁ実態は形骸化し、経営者も連合の要求なんか相手にしないから効果はないだろうが。
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「プロジェクトX」という錯覚


きょう東京駅で、こんなポスターを見た。きのうから始まった「NHKオンデマンド」の広告だ。ところがきのう、NHKに関する最大のニュースは、その目玉である「プロジェクトX」の元プロデューサーが、万引きで検挙されるというニュースだった。私は彼を直接には知らないが、元部下によると彼自身もプロジェクトX的な会社人間だったらしい。

このヘルメットのおじさんのような労働者には、「できるかできないか一切考えない。ただやる。無我だ。真っ白だ。突撃だ」という、くさいナレーションが「効く」のだろう。歴代の視聴率ベストテンには、「瀬戸大橋」や「青函トンネル」が入っている。男たちの「不屈のドラマ」の結果は、本州四国連絡橋公団の4兆円を超える債務と、旅客の通らない長大なトンネルだ。

要するに「プロジェクトX」に描かれているのは、日本経済をだめにした局所最適化の錯覚なのだ。「世紀の難工事に挑む」前に、本州と四国の間に3本も橋をかけて採算が取れるのかという目的の合理性を考えるべきだった。G7諸国で最低の労働生産性を上げないで、バラマキ公共事業をやっても「リフレ」をやっても、低い山に登るだけで、かえって全体最適から遠ざかってしまう。与えられた目的に疑問を持たず「無我」でまじめに働くことが報われた幸福な時代は、残念ながらもう終わったのである。
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[中級経済学事典] 自然失業率

きのうの短い記事が、意外に論議を呼んでいるようだ。40年前の経済学の常識が、まだ一般に理解されていないのは困ったものだが、サマーズがいっているのは長期の労働供給、つまり自然失業率の原因である。短期的には労働需要の変動が失業に影響するのは当たり前だが、それを政府が完全にコントロールすることはできない(cf. Mankiw)。長期の失業率は労働市場の硬直性で決まるので、政府の介入は有害である。

図のように、短期の失業率はケインズ的な財政政策でAからBに下がるが、それはインフレによって実質賃金を下げているだけなので、労働者がインフレを織り込むと労働供給が減って失業率はCに戻り、長期的には自然失業率(NAIRU)で労働市場が均衡する。つまり財政政策というのは労働者を一時的にだましているので、長期的には失業は自然率に戻り、インフレだけが残る。サマーズもいうように、労組の力が強くなると労働市場が硬直的になって自然失業率が上がる。

これはフリードマンが有名な1968年の論文で明らかにしたことで、現在は(保守もリベラルも問わず)経済学の常識である。ところが日本では「マクロ経済学」と称して、ミクロ経済学と矛盾する奇妙な理論がいまだに教えられている。特に官僚やジャーナリストには、上にリンクを張った論文を読んでほしい。これは経済学の論文として最高傑作の一つとされ、数式はまったくないので論理的思考力があれば理解できる。
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失業の最大の原因

Greg Mankiw's Blogより、オバマ政権の国家経済会議(NEC)委員長になるラリー・サマーズの言葉:
To fully understand unemployment, we must consider the causes of recorded long-term unemployment. Empirical evidence shows that two causes are welfare payments and unemployment insurance. [...] Another cause of long-term unemployment is unionization.
彼も指摘するように、「労働者保護」が強く労働組合の組織率の高い国(あるいは州)ほど失業率が高いのは、経済学で確立した定型的事実だ。厚労省の進めている「労働再規制」が、彼らの主観的な温情主義とは逆に、失業という格差を拡大することは確実である。日本の民主党の議員諸兄には、サマーズのこのエッセイを一読することを強くおすすめする。
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[中級経済学事典] ネットワーク外部性

一時、IT業界で収穫逓増というbuzzwordが流行したが、最近は忘れられたようだ。しかし、この概念は現在の状況を考える上で役に立つ。かつて収穫逓増として騒がれたのは、経済学で正確にいうとネットワーク外部性である。これは古典的な意味での収穫逓増(規模の経済)とは違い、ある人の行動による利益が他人の行動に依存するという補完性である。数学的に表現すると、プレイヤーA、Bの行動a、bによる利得関数f(a,b)を2階微分可能とすると、

2f/∂a∂b≧0

これはsupermodular gameとよばれ、利得が最大と最小の二つのナッシュ均衡をもつことが知られている。これを最適反応曲線で描くと複数均衡の図になるが、利得関数で描くと次のような図になる。今アメリカ経済が落ち込んでいるのは局所最適だが、全員が協力すれば全体最適が達成可能だとしても、人々の行動の初期値がXより下であるかぎり、非協力(取り付け)がナッシュ均衡になる。他人の行動を所与とするかぎり、自分だけがそこから離れることは合理的ではないからだ。


ケインズ的な失業も、こういう非凸の最適化問題として理解できるが、これは限界原理のような漸近的な最適化手法では解けない(Cooper-John)。これはITでもおなじみの、他人がみんなウィンドウズを使っているときは、たとえマッキントッシュのほうが性能がよくても自分だけマックに変えると損をする、というネットワーク外部性と同じである。

この場合に考えられる政策は、政府がまず協力的な行動をとり、世の中が協力するという期待を作り出すことだ。このためには、政府が一時的には(たとえば巨額の不良債権を買い取るなど)大きな損失を覚悟して高い山に上り、そこから絶対に降りないというコミットメントを示す必要がある。これがアメリカで多くの経済学者が「大胆な」とか「非正統的な」といった表現を使う理由だ。普通の(合理的な)行動ではだめで、一時的には不合理なコミットメントが必要なのだ(ただし山の頂上まで行く必要はなく、期待値がXを上回ればよい)。

しかし、これは必要条件にすぎない。絶対多数の投資家が政府を信頼するためには、全体最適となるナッシュ均衡が存在するという共有知識が必要だ。そのためには金融システムが正常化し、人々が合理的に行動すれば全体最適に収束することが条件だ。いいかえると、
  • 人々の行動の期待値がXより上になり
  • 協力がナッシュ均衡だという期待が共有される
という二つの条件が必要である。このうち本質的なのは後者で、たとえ政府が債券や株式やケチャップを買いまくっても、財政赤字でいつまでもそんな政策が続けられないと市場が思えば、全体最適はナッシュ均衡にならないので、自律的に維持できない。逆に後者が成り立てば、世界的には資金過剰なので、市場を出し抜いて自分だけ高い山に登ろうという長期投資家(SWFなど)が出てくるだろう。つまり重要なのは、不良債権を清算して「値洗い」し、これ以上悪い均衡にとどまっていても損するという状況を作り出すことである。

これは日本でも同じで、政府が信用されない状態でいくらバラマキをやっても、市場はすぐ悪い均衡に戻ってしまう。そのバラマキの方法も二転三転するようでは、よい均衡の存在もあやしくなり、「景気対策」としても意味をなさない。遠回りのようでも、企業収益を高めて市場の信認を回復することが最善の政策である。
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