2008年10月12日
宗教者が戦争に反対する時
仏教にせよ、神道にせよ、キリスト教にせよ、人の世の平和、心の平安を真理とする宗教の教えに従えば、戦争は基本的に悪となる・・・はずである。
世に口先だけの人間がいくらも転がっていることと変わることなく、実際は戦争にはっきり反対の抵抗意思を示す宗教者は少ない。イラク戦争はその典型的な例であった。アメリカでは圧倒的多数のキリスト教徒は9/11と無関係のイラクに対する侵攻を熱烈に支持して開戦に突き進んだ。極めてわずかにそれを態度に表した牧師らは袋だたきに。全く病的な状況であった。その後、戦況が悪化するまで長い間、それは続き、大量破壊兵器が全く存在しないなど当初の大義名分が吹き飛んだ後も変わることがなく、ともに参戦した英国もアメリカほどの熱狂はなかったが、大同小異であった。
前ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世以上が思い返される。歴史的悪夢となることがわかっていた不正な戦争を止めようと、はっきりと真剣に戦争が始まる前に実際に行動した宗教者がいったい他のどこにいただろうか?バチカンが外交的に動くということそれ自体が異例であるが、末期のパーキンソン病の老体をおして彼は全く真剣そのものだった。
クルセード=crusadeという言葉をブッシュ政権とアメリカ福音主義派の教会が一緒になって用いたことで、「21世紀のプロテスタント版十字軍」は引き起こされた。「キリスト教」世界の遺産を灰燼に帰す歴史的暴挙であった。
「イラク戦争開戦に猛反対した教皇」
激しい憎悪に煮えたぎったイスラム教徒に対してでさえ、あの一点において前教皇は今世紀に繋がる、かすかだが、しかし、紛れもない希望の光を残したと言って良い。
さて、60年ちょっと前まで、「神州不滅」、「皇国日本」のスローガンの下、日本は暗い軍国主義的な全体主義の時代を経験している。この時代に反戦の意思表示をすることは命の危険があった。当時、それを実践した宗教者が宗教を問わず幾人かいる。
その一人が竹中彰元。ようやく昨年、名誉回復がなされたばかりの仏教僧である。
本日放映予定の3チャンネル・教育テレビ、ETV特集
「戦争は罪悪である〜ある仏教者の名誉回復〜」
近代以降の戦争、特に現代の戦争は、何らかの意味で「独裁」が成立した時に発生する。国を独裁するのも、宗教組織をカルト化させるなどして独裁するのも質と量が大きく異なるが、その本質において人間の悪性が顕現した深い罪であること、言うまでもない。深い罪に対してはっきりと態度をとらない宗教者、口先だけで何も動こうとしない宗教者、何かをしたふりだけする宗教者・・・。何と偽善的なことであろう。個人的に私もこの2年ほど、そういう手合いの牧師、信徒を嫌と言うほど知ることになり、非常に深く失望している。
宗教者が戦争に反対する時、その人間の真価が問われる。
以下、NHKより転載。
日中戦争開戦時「戦争は罪悪」と説き逮捕された真宗大谷派の僧侶・竹中彰元。去年70年ぶりに名誉を回復された。発見された尋問調書をもとに宗教者の戦争責任を考える。
日中戦争開戦時「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、逮捕された僧侶がいた。真宗大谷派の高僧・竹中彰元。本山からも布教使資格はく奪の処分を受けた。それから70年、地元の人々や宗教者の運動により、2007年10月、ようやく名誉回復がなされた。仏教界が戦争に協力した時代、竹中彰元はなぜ戦争批判の姿勢を貫くことができたのか? 発見された尋問調書の写しや関係者の証言で追跡。宗教者の戦争責任を考える。
出演 加賀美幸子アナウンサー
世に口先だけの人間がいくらも転がっていることと変わることなく、実際は戦争にはっきり反対の抵抗意思を示す宗教者は少ない。イラク戦争はその典型的な例であった。アメリカでは圧倒的多数のキリスト教徒は9/11と無関係のイラクに対する侵攻を熱烈に支持して開戦に突き進んだ。極めてわずかにそれを態度に表した牧師らは袋だたきに。全く病的な状況であった。その後、戦況が悪化するまで長い間、それは続き、大量破壊兵器が全く存在しないなど当初の大義名分が吹き飛んだ後も変わることがなく、ともに参戦した英国もアメリカほどの熱狂はなかったが、大同小異であった。
前ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世以上が思い返される。歴史的悪夢となることがわかっていた不正な戦争を止めようと、はっきりと真剣に戦争が始まる前に実際に行動した宗教者がいったい他のどこにいただろうか?バチカンが外交的に動くということそれ自体が異例であるが、末期のパーキンソン病の老体をおして彼は全く真剣そのものだった。
クルセード=crusadeという言葉をブッシュ政権とアメリカ福音主義派の教会が一緒になって用いたことで、「21世紀のプロテスタント版十字軍」は引き起こされた。「キリスト教」世界の遺産を灰燼に帰す歴史的暴挙であった。
「イラク戦争開戦に猛反対した教皇」
激しい憎悪に煮えたぎったイスラム教徒に対してでさえ、あの一点において前教皇は今世紀に繋がる、かすかだが、しかし、紛れもない希望の光を残したと言って良い。
さて、60年ちょっと前まで、「神州不滅」、「皇国日本」のスローガンの下、日本は暗い軍国主義的な全体主義の時代を経験している。この時代に反戦の意思表示をすることは命の危険があった。当時、それを実践した宗教者が宗教を問わず幾人かいる。
その一人が竹中彰元。ようやく昨年、名誉回復がなされたばかりの仏教僧である。
本日放映予定の3チャンネル・教育テレビ、ETV特集
「戦争は罪悪である〜ある仏教者の名誉回復〜」
近代以降の戦争、特に現代の戦争は、何らかの意味で「独裁」が成立した時に発生する。国を独裁するのも、宗教組織をカルト化させるなどして独裁するのも質と量が大きく異なるが、その本質において人間の悪性が顕現した深い罪であること、言うまでもない。深い罪に対してはっきりと態度をとらない宗教者、口先だけで何も動こうとしない宗教者、何かをしたふりだけする宗教者・・・。何と偽善的なことであろう。個人的に私もこの2年ほど、そういう手合いの牧師、信徒を嫌と言うほど知ることになり、非常に深く失望している。
宗教者が戦争に反対する時、その人間の真価が問われる。
以下、NHKより転載。
日中戦争開戦時「戦争は罪悪」と説き逮捕された真宗大谷派の僧侶・竹中彰元。去年70年ぶりに名誉を回復された。発見された尋問調書をもとに宗教者の戦争責任を考える。
日中戦争開戦時「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、逮捕された僧侶がいた。真宗大谷派の高僧・竹中彰元。本山からも布教使資格はく奪の処分を受けた。それから70年、地元の人々や宗教者の運動により、2007年10月、ようやく名誉回復がなされた。仏教界が戦争に協力した時代、竹中彰元はなぜ戦争批判の姿勢を貫くことができたのか? 発見された尋問調書の写しや関係者の証言で追跡。宗教者の戦争責任を考える。
出演 加賀美幸子アナウンサー
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この記事へのコメント
1. Posted by 名無し
2008年10月13日 20:27
口惜しい〜、見そびれた〜 (檄涙
2. Posted by Kirishitan
2008年10月15日 03:51
バチカンおよび当時の教皇が反対したのは、まったく当然の神学的帰結であったのある。というのは、カトリック教会は戦争は絶対悪という立場をそもそも取らないからである。つまり、正義の戦争論というのがカトリック神学のなかにあり、あのイラク戦争は、カトリック神学の正義の戦争論("gerechter Krieg") の観点から見て、まったく不当で正当性がなかったからである。
3. Posted by Kirishitan
2008年10月15日 04:04
カトリックの立場は、ローマ帝国のなかで成立した権力機構にしっかりと根ざす宗教であり、それゆえにローマ法や当時の法理念に由来する以下の観念を持つ。
"bellum iustum" 正義なる戦争
"ius ad bellum" 戦争する法的権利
つまり、戦争は絶対悪であり、いかなる場合にも放棄しろというような理念は持っていないのである。
カトリックが戦争が絶対悪とするなら、とっくの昔に第一次および第二次大戦とかで、そういうことを説いたはずだが、もちろんそうではない。
ローマ帝国こそは、帝国主義戦争をしつづけて大きくなったのであり、カトリック教会はこの帝国の国教となったのである。
イラク戦争のときには、あれが正義の戦争かどうかで、いろいろと議論があって、結局、教皇はあのp戦争にいかなる正当性も認めなかった、だから反対したのである。
"bellum iustum" 正義なる戦争
"ius ad bellum" 戦争する法的権利
つまり、戦争は絶対悪であり、いかなる場合にも放棄しろというような理念は持っていないのである。
カトリックが戦争が絶対悪とするなら、とっくの昔に第一次および第二次大戦とかで、そういうことを説いたはずだが、もちろんそうではない。
ローマ帝国こそは、帝国主義戦争をしつづけて大きくなったのであり、カトリック教会はこの帝国の国教となったのである。
イラク戦争のときには、あれが正義の戦争かどうかで、いろいろと議論があって、結局、教皇はあのp戦争にいかなる正当性も認めなかった、だから反対したのである。
4. Posted by Kirishitan
2008年10月15日 04:14
戦争そのものを殺害と結びつけて絶対悪としようとするのなら、むしろ仏教のほうがはるかに優れていると思える。
そもそも、十戒のなかの殺してはならない、という項目には、古代イスラエルでさえ、死刑および戦争における殺害は含まれていなかった。だから、旧約では平気で異教徒を殺すし、姦淫したら石打ちにされて殺される。
仏教の不殺生という戒律のほうが、より大きな普遍性を持っており、優れている。
そもそも、十戒のなかの殺してはならない、という項目には、古代イスラエルでさえ、死刑および戦争における殺害は含まれていなかった。だから、旧約では平気で異教徒を殺すし、姦淫したら石打ちにされて殺される。
仏教の不殺生という戒律のほうが、より大きな普遍性を持っており、優れている。
5. Posted by 名無し
2008年10月15日 06:57
仏教の不殺生…私はよく知らないのですが、警察官が拳銃を持っていたらマズいのかな。どんな訓練を積んだ人でも誤射はあり得るでしょうし。さらに警棒なら大丈夫と言えるのか?そもそも今のような警察の存在は?
6. Posted by 多摩川太郎
2008年10月19日 20:11
仏教の不殺生は、言葉では知っている。しかし、戦争に反対して迫害を受けた仏教徒はいるだろうか。戦争に同協力したのか。優れているというが、思想のみで、実行に移されたことはあるのか? 大きな疑問である。むしろ、殺した相手の「成仏」を祈る時代劇を見たが、無の思想は、生死の境をなくし、相手を成仏させるために殺すという思想を導く。
オーム真理教しかり。おそろしい思想も含んでいるのである。
オーム真理教しかり。おそろしい思想も含んでいるのである。
7. Posted by ポン太
2008年10月20日 09:17
仏教が「成仏→殺す」の危険性ありだとすれば、さしづめキリスト教は「世の終わり→殺す」の危険性ということになりましょうか。記憶が定かではありませんが、かつての南米「人民寺院」などはそんな感じだったような…いずれにせよ宗教を越えて互いに学び合い、研鑽する場を持てるとしたら、それこそ世界平和にとって有益なことかも知れませんね。

